なぜ私は“普通のスリットドラム”を作らなかったのか①

長らくご無沙汰しておりました。
ブログ、ずっと放置していました。見てくれていた方がいたとしたら、ごめんなさい。

なぜ、性懲りもなくまたブログなのか?
それは私に決定的に欠けているのが「マメマメしさ」だからです。。

そして「ないものねだり」の特徴として当然「マメになりたい」とも思っています。

2007年ごろにプロパノータという楽器を作り始めてから20年近くが経ちました。

作り続けることにより蓄積されたものは多くても、「情報発信」に関しての成長となると一向に見えてきません。

昨今はSNSだとは思いますが、本来興味がないんですよね(これを言ってはいけませんが)。一度「X」でバズったことがありましが通知がうるさくてそのまま電源切りました(これに関して後悔していることがひとつありますが、それはまたの機会にでも)。

そんな私ですが文章を書くことに関しては比較的好きなんです。

私が皆さんにお伝え出来る事や、これから作りたいと思っている楽器のことなど記録して「マメ人間」を目指します。

そんな心境から、まずは今までのことを振り返ることから始めてみます。


「プロパノータを作るきっかけ」

ある日、ネットで「なんか面白い打楽器ないかな」と探していたとき、
たまたま目に飛び込んできたのが、金属製のスリットドラムでした。

その瞬間、「あ、これ欲しい、と同時に……自分で作れるかもしれない」と、反射的に思ったんです。
スリットドラムはそれ以前に木製のものを作っていたこともあり、市販もされていて興味自体もありました。

しかしパッと見で「作れる」と思ったのは「ウドゥドラム」という西アフリカの打楽器が欲しくて、自分で作ったことがあったんです(正確には作ってもらったのですが)。
いろいろな素材でチャレンジして、最終的に行き着いた素材がガスボンベでした。

ガスボンベってあまり身近に感じないかもしれませんが、当時の私は花火会社に勤めていました。

花火現場ではある種の「火種」として小型のガスボンベや炭が使われていたんですね。
だから私にとっては、それほど珍しいものじゃなかったんです。

さらに偶然というのは重なるもので、当時住んでいたアパートのご近所さんが
ガスボンベの再注入を行う工場に勤めていて、ちょっとした相談なんかも気軽にできる環境でした。

そんなラッキーが重なり「あ、これはもう作れる」と確信した私は、
ウドゥドラムをお願いしていた鉄工所にすぐ駆け込んで、製作を依頼しました。
勢いだけだったとも言えるんですが、とにかく「この音を自分の手で鳴らしてみたい」
その気持ちが先に立ったんだと思います。

鉄工所の親方も快く、また楽しみながら私の依頼にこたえてくれました。

しかし、いくら快く引き受けてくれるからとはいえ、遠慮なく甘えるわけにはいかず、また思うようなモノを作るにはやはり自分でやらねばならないのは当然のこと。

鉄加工などは全くの未経験でしたが、ホームセンターで手に入る道具を買い、とにかく情熱だけで突き進んでいきました。

昼間は花火仕事、夜は楽器作り。

鉄工所の片隅を使わせていただきもしましたが、やはりそこは人様の場所。

アパートの一室に防音、防炎を施した身体が入る程度の箱を作り、その中で作業をしたりもしていました。

今考えてみてもなかなか根性がありますね。

ちょっと変わった間取りの部屋でしたが、裏には大家さんが住んでいたので鉄を削る音や溶接の火花などが漏れたら「一大事」。

「大胆さと慎重」の偉大なる組み合わせですよ。

建物は2階建てで、部屋は2階。階下は空きテナント(大家さん同じ)。

その後その空きテナントを借り上げ、工房に仕立て作業三昧の日々が始まりました。

ちなみに大家さんはとても応援してくださり、お隣さん、お向かいさんの奥様方と「プロパンレディス」として毎週練習に精を出し、演奏活動にも積極的に打ち込んでくれました。