昨日はこの暑い中、東京の西からわざわざ訪ねてきてくれた方がいました。
イナバ君。
美大の院生で「プロダクト」について学んでいるそうです。
とりわけ「打楽器」が彼の研究テーマ。
楽器はピアノの演奏をするものの、打楽器を特に演奏をしているわけではないとのこと。
ナゼ打楽器? と尋ねると
「叩けば誰でも音が出て、コミュニケーションツールのひとつとなりえるその懐の深さ」が興味深い。
といったようなお答えでしたかな。
ご本人はピアノの演奏が出来るし、音だけならもちろんピアノでもギターでも誰でも出せる。
でも打楽器以外は音が出せても、フィーリングで何とか出来るようなものでもないし、単なるデタラメな音出しでは面白くないもんね。
その点、打楽器の多様性とデタラメでも楽しめるという点は、確かに他の楽器にはない魅力ですね。
叩く、打つという行為は「人類に備わっている根源的な本能のひとつ」ということには大きく同意します。
楽しみや喜びだけでなく、人を傷つける行為でも使われることは、、、、仕方ないねぇ。。
喜んでは何かを打ち、悲しんでも何かを打つ。
当然その行為には歓声もあれば嗚咽が漏れることもあるでしょう。
そして次第に歌が生まれ、、、そんな感じで音楽が成立していったのですかね。
「リズム」と「旋律」どちらが先かは知りませんが、どちらにしても人類のDNAには深く根付いていると思っています。
そんなわけですから人が言う「リズム感がない」なんてことはあり得ないと思う。
ただ日常の雑多な事柄に覆いかぶされて埋もれてしまっているだけだと思っています。
初見の方でしたが、しばらく2階で話をしたあと一人で好きに楽器をこねくり回してもらいました。
邪魔をしないようにワシは下でお仕事。
時折聞こえてくる小物系鳴り物楽器の音が聞こえてくると「オッ、いろいろいじくりだしてるな」とちょっと嬉しくなってきます。
お話をしているときにはマレット(バチ)にもいろいろと興味があるようでした。
確かに打楽器はナニで打つかによって音色も大きく変わりますからね。
僕が逐一「コレはこうしてね・・・」なんて言い出したら、最初に感じるインスピレーションが消えちゃうかもしれんでね。
「プロダクト」としての打楽器。
なにか世界が驚くようなものを作り出してほしいですね。
微力でもその力になれればワシも嬉しい。
とても好感の持てる若者でした。
おまけにワシがあれこれ引っ張り出していた楽器も綺麗に整えてくれていましたし。。。スマンねぇ。
イナバ君、西東京からは距離があるけれど、またぜひお越しください。
それにしても彼もやはりいまだにオンライン。
学校には行けていないようです。
大学なんて授業以上に友達と直接過ごす時間が何より有意義なのにね。
気の毒です。